2014年1月15日
スターがダメな子を演じると、とってつけたようになりがち。だが『もらとりあむタマ子』のタマ子=前田敦子は、ダメな子にしか見えなかった。就活もせずタレントオーディションに応募しようとするくだりも、“ムリだって”と。
言うまでもなく、前田自身は国民的アイドルAKB48の絶対エースだった存在。そんな彼女が劇中でタレントになろうとする姿には、自然に“違うだろ!”と笑えた。同じく公開中の『麦子さんと』では堀北真希が声優志望の役を演じているが、彼女には“すぐアイドル声優になれちゃいそう”と感じたのと対照的に。
前田敦子はトップ中のトップアイドルなのに…というより、そもそも彼女の本質は“美”とか“華”ではなく“変”ではなかったか。変人の“変”。この映画を観ていて、そんな気がしてきた。
AKB48のドキュメント映画で、ステージ裏の壁の真ん前でソロ曲を1人歌う場面は、ハードスケジュールと主演ドラマの低視聴率で追い詰められてるように見えた。選抜総選挙で1位になりながら、「私のことは嫌いでもAKBは嫌いにならないでください」と叫んだ有名なスピーチには、国民的アイドルのセンターとしてとてつもない注目を浴びる重圧を垣間見た気がした。
そういうものもあっただろう。けど、それ以上に、こうした言動は単に彼女が“変”だから出てきたのではないか。改めて振り返ると、そう思える。ついでに言えば、以前「週刊文春」にスクープされた、“合コン”で泥酔して佐藤健にパンツ丸見えのお姫様抱っこをされてた写真。あれなんかも“変”の挙げ句という感じだったし。
とかいろいろ考えてたら、もう1コ、まだ彼女とAKB48が大ブレイクする前の取材での出来事も思い出した。
(続く)
戻る