美少女だった宮沢りえが40代で手にしたもの(2/5) | Deview-デビュー
2015年1月9日

 32年続いた『笑っていいとも!』が3月で終了した後、タモリの新レギュラー番組『ヨルタモリ』が10月から始まった。日曜23時台の放送で、とあるバーを舞台と設定したトークバラエティ。タモリはジャズ喫茶のマスターなどの役で、フラリと立ち寄る。

 このバーの着物姿のママ役で、宮沢りえが事実上の司会を務めている。長いキャリアの中で、バラエティのレギュラーは初めて。12月7日の放送では観月ありさがゲスト。宮沢は「3Mですよ」と盛り上がっていた。

 「3M」といっても若い人は知らないだろう。90年代始め、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂の人気アイドル3人がこう呼ばれていた。“アイドル”と書いたが、当時はおニャン子クラブ解散後のアイドル冬の時代。3Mはそれまでの歌手ベースのアイドルと違い、CMから火がついた。宮沢の『三井のリハウス』、観月の『フジカラー』、牧瀬の『クリスマス・エクスプレス』などが印象深い。女子からも憧れられるアイドルだった。

 逆に、自分は3Mにアイドルとしての興味をまったく持てなかった。洗練されすぎて、少女らしいかわいらしさを感じなかったからか。単に顔が好みでなかっただけの気もするが。

 『ヨルタモリ』で宮沢と観月は「実はちゃんとお話するのは初めて」と言っていた。宮沢の「ドリームラッシュ」、観月の「伝説の少女」と、まだ縦長サイズだったデビューCDもバーに持ち出され、2人で「元祖小室(哲哉)ファミリーなんです」との話題も。

 興味なかった身でも、あの時代を彩った2人の時を経た2ショットに感慨があった。観月はドラマに24年連続主演とギネス記録を更新し、テレビに出続けている。『ナースのお仕事』など思い浮かぶ作品もある。だが、宮沢はテレビで観ない時期があった。(続く)


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