TOKIOが塗り替えたジャニーズの歴史(2/5) | Deview-デビュー
2014年9月8日

ジャニーズとバンドというと、中年以上なら浮かぶのが“ヨッちゃん”こと野村義男。『3年B組金八先生』の最初のシリーズで、同じ生徒役だった田原俊彦、近藤真彦との「たのきんトリオ」として大ブレイク。

 だがソロデビューは田原、近藤より遅れ、もともと本人がギターマニアだったことから、公募メンバーらで結成したThe Good-Byeというバンドで83年に本格レコードデビューとなった。セールスはデビュー曲のオリコン9位が最高で、90年に活動休止。

 野村はギタリストとして1人立ちしてジャニーズを離れ、宇都宮隆や世良公則ら多くのミュージシャンとのコラボバンドでプレイ。浜崎あゆみのバックバンドのギターとしても知られるように。本人の志向は元からそっちだったようだが、結果的にタレントとしては大成せず、裏に回る形となった。

 そして、88年にロックバンドとしてデビューしたのが男闘呼組。

成田昭次(Gu)、岡本健一(Gu)、高橋一也(Ba)、前田耕陽(Key)という面々。デビューから4作連続オリコン1位を獲得したが、メンバー自ら作詞や作曲も手がけるようになったらセールスが急落。93年に事実上の解散をしている。

 今もジャニーズに残るのは岡本のみで、息子の岡本圭人はHey!Say!JUMP!!で活躍中。岡本は野村にギターを習い、その岡本からギターを習ったのが木村拓哉とか。何にせよ、男闘呼組も光GENJIとSMAPの間にデビューし、インパクトのある足跡は残してない。良い曲もあるけど。

 当時はジャニーズに限らず、アイドルとアーティストの垣根は高く、ジャニーズバンドはアイドルファンもバンド好きもとっつきにくい、中途半端なポジションだったと思う。やはりジャニーズは踊って歌うのが本筋…と思いきや、94年にTOKIOがバンドとしてデビューした。(続く)


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