『SPEC』の映画化は成功したのか?(5/5) | Deview-デビュー
2012年5月17日

 個々のSPECホルダーが起こす事件に挑む話で始まった『SPEC』だが、劇場版『天』ではニノマエ率いるSPECホルダーの組織が、世界の覇権を握ろうとする展開に。

『翔』では死んだはずだったニノマエが、『天』では生きていた。

その説明も一応されていて、ややムリヤリだったが、そこは許容範囲。

 「ファティマ第三の予言」など聖書的な世界観も持ち出し(『新世紀エヴァンゲリオン』の「死海文書」などの手法)、人類対SPECホルダーの最終決戦と煽っていたわりに、『天』ではそこまで描かれてない。せいぜい日本転覆を図る前哨戦ぐらい。

 そもそも“映画だからスケールの大きな話に”との狙いにせよ、『SPEC』の良さがうまく乗ってない。

器だけ大きくして上っ面しか届いてないというか。

ドラマの映画化ではありがちなこと。日常の中での暖かみが描かれた『怪物くん』が、映画で一国の姫を助ける話になったら、ただ筋を追うだけになってたり。

 映画は映画で成立するなら、ドラマと別物になってもいい。

ただ、『SPEC天』はそこまでも行ってない。

事件を基盤にしたTVサイズがちょうど良かったのに、映画仕様で黙示録的な話に舵を切って中途半端になった印象。

というか、最初から『天』で描くのはここまでの予定だったのかも。

 『SPEC』は「癸」(ドラマ最終回)、「翔」、「天」と来て、起承転結のケツがあると誰もが思ってる。

『天』のエンドロール後に瀬文が「欠でいいか?」と言ってたし。

『天』の最後は2年後、当麻らの上司・野々村係長代理の遺書めいた手紙が読まれて終わった。

破滅的な光景が広がる中で。“人類最後の日”は、次の『SPEC欠(?)』で描かれるのか。

 HPでは続編希望のアンケートを取っている。

スペシャルドラマ『翔』は映画の宣伝くさくなくて良かったが、その映画『天』が次の続編の宣伝っぽくも感じた。

最終作で壮大な黙示録まで描き切れたなら、文句は言わないことにする。
(終わり)


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