2011年11月8日
2年ぐらい前の雑誌インタビューで、二宮和也が「台本は自分の台詞のところしか読まない」と発言していた。
その趣旨は、たとえば誰かが死んだと聞いて驚くシーンで、台本を読んでその人物が死ぬと知ってたら驚く演技をしなければいけないけど、知らなかったらリアルに驚ける…といったものだった。
これはすべての演技者が抱える二律背反。台本を読み込み、役柄や台詞について深く掘り下げる必要もある。だから二宮と逆に、他の役の台詞まですべて覚えて臨む役者もいる。だが、話の流れが全部体に入ってしまったら、設定上では初めてのことに初めてのように反応できず、演技が段取りになってしまう危険もある。
そのため映画監督でも、わざとなかなかOKを出さず、役者が演技を忘れて自分の言葉と感情を出すまで撮り続けるタイプもいる。北野武監督は、お笑いでのアドリブ感からか、現場でセリフも状況もどんどん台本と変えていくという。
そんな撮り方も手法としてあるにせよ、最初からスパッと「自分の台詞しか読まない」と割り切る二宮の役者センスには驚かされた(今もそうしているのかは知らないが)。だからこそ、ヘタレのフリーターが家族のために徐々に成長していく変化も、リアルに見せられたのかもしれない。
二宮といえば、その演技力は『硫黄島からの手紙』でハリウッドからも評価されたが、当時の外国でのプレス会見でも、印象に残る発言をしている。
(明日へ続く)

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