『マイ・バック・ページ』とあるアイドルの時代(5/5) | Deview-デビュー
2011年7月5日

 86年には年間52週中36週でおニャン子クラブ関連楽曲がオリコン1位となる。絶頂の1年。

でも、そんなものは長く続かない。

翌年にはレコード売り上げが落ち、『夕やけニャンニャン』終了とおニャン子クラブ解散の噂が広まり、実際そうなった。

大ブームを起こしつつ、わずか2年半での終焉。

 自分はその頃、おニャン子本体より卒業してソロになった河合その子に目が行っていたが、それでもショックだった。

解散コンサートの代々木体育館はもちろん、87年に入ってからのファンの熱狂は、ブームの退潮と反比例して凄まじかった。祭りの最後、狂ったように踊り続けるしかなかったように。

 『マイ・バック・ページ』も全共闘運動が終息に向かう頃が舞台。

活動家の梅山も、自らの功名心のためとしても、時代が変わる焦りの中での暴発に見えた。それがおニャン子末期のファンの“俺たちには何もできない”無念と重なった…のは自分だけか。

 全共闘世代はその後、多くが普通に就職したようだが、原作の川本三郎氏ら映画の登場人物のように、人生が大きく変わった人もいる。

それはおニャン子世代も同じ。

前述したのと別のあるアイドルライターは、おニャン子の幻影を求めるようにチェキッ娘、モーニング娘。とグループアイドルにハマり続け、今はもちろんAKB48。

 今回の選抜総選挙では、彼女たちの記事を書いて得たギャラも含め200万円を投票券入りシングルに注ぎ込み、そのすべてを1人の推しメンに入れたという。

 『マイ・バック・ページ』では妻夫木聡が演じたジャーナリストが数年後、飲み屋でむせび泣くシーンがあった。

今AKB48に熱狂して握手会に通い、総選挙で何百票も投じたファンも、いつか全共闘世代やおニャン子世代のように、この時代を振り返るときが来るかもしれない。少しホロ苦く、痛い思い出として。
(終わり)


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