2011年6月28日
福島第一原発の事故があり、20年以上前にRCサクセションが歌った反原発ソングが注目を浴びた。
斉藤和義は自らのヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌「ずっとウソだった」をYou Tubeに上げ、原発は安全と触れ回っていた東電や政府の欺瞞を痛烈に批判した。
このとき、所属レコード会社が「第三者が勝手に上げたもの」などと火消しに走ったのが滑稽だった。
本人に公開の意志があって歌ったのは明らか。
最新の「Bridge」誌インタビューでもそう話している。
RCのときはアルバムが発売中止となったが、今はこんな形で世に出せる。
でも、レコード会社のスタンスは当時と変わらない。
ヘンに社会問題と関わり、どこかから火の粉を浴びるのが怖いという。
“どこか”ってどこだ?
アメリカではベトナム戦争の頃から、プロテストソングは一つの潮流。
あくまで“作品”としてダブルミーニングに落とし込んだりしながら。
たとえばCCRの名曲「雨を見たかい?」。
あの“雨”はアメリカ軍がベトナムに投下したナパーム弾のこと――そんな逸話が台詞に出てくる映画が、公開中の『マイ・バック・ページ』だ。
評論家の川本三郎氏が、朝日新聞社の雑誌記者だった60年代末を振り返る回想録が原作。
全共闘運動のうねりから事件に巻き込まれるジャーナリストと、大ボラを“本物”にしようとあがいた活動家の物語で…。
(明日へ続く)

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