演技派に青春映画は似合わない?(4/5) | Deview-デビュー
2011年5月19日

 青春映画とは10代でしか表現し得ないきらめきや切なさを切り取る作品だと思う。逆に言えば、きらめいてる10代女優をうまく使うだけで、成立する部分もある。

映画でもあり、演じる女優自身の一種のドキュメントとして。

 実際それで感動した作品は多々ある。以前も触れた多部未華子の『夜のピクニック』とか、榮倉奈々・谷村美月の『檸檬のころ』とか。

そこには、おそらく本人も意図してなかった青春の輝きが焼き付けられていて。

 ただ、それを行定監督が言うところの“故意”で反復できなければ、女優としては特定の作品の中だけで輝いていた存在で終わってしまう。多部や谷村はそこを越えたが、青春の終わり=女優としての終焉となったケースも少なくない。

 では、成海璃子はどうだったのか。5歳でデビューした彼女は逆に、ローティーンの頃からすでに、自らをコントロールして役とシンクロさせる境地に達していた気がする。

 たとえば、14歳のときに主演した『あしたの私のつくり方』。

AKB48の前田敦子がWヒロイン格で初出演した映画でもあるが、成海は周りに自分を合わせてしまい“本当の自分”を探す少女を過不足なく演じた。

 ただ、そこが青春映画好きには物足りなかった。演技が上手い分、本人の迷いや揺れがハミ出す感じがなく、思春期ならではの青さに欠けるというか、大人の演技を観ているよう。

ほとんど言い掛かりに近いわけだが、アイドルの歌が上手すぎても引く感覚と似てるかもしれない。

 とにかく成海璃子には、上手いし大成するだろうけど、青春映画に向かない印象をずっと持っていた。で、最新作『少女たちの羅針盤』では…。
(明日へ続く)


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