2011年5月18日
演技がうまいかヘタかの基準は、実際のところよく分からない。棒読みにしか聞こえないとか最低限のレベルはあるにせよ、そこから先は単なる好みの問題かも。
自分の中では一応、“観ていて感情の振り子が動くのが良い演技”ということにしているが、それもこちらの感情自体がその時々の状況で変わるわけで、絶対的なものではない。
以前、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』などを撮った行定勲監督が言ってたのは、「自然な芝居より故意に芝居できるほうがいい」と。“自然体の演技”が誉め言葉で使われたりもするが、「演技は日常を反復するもの。“自然”とは違う」との説だった。
一方、10代の頃の薬師丸ひろ子が主演した『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』などを手掛けた故・相米慎二監督は、執拗な長回し撮影で知られる。
役者が演技を忘れ、自然な感情に任せて動くリアルを求めて。
どれが正解という話ではない。
ただ青春映画においては、相米的手法が功を奏することは多い。10代の女優本人の初々しい揺らぎが、役の揺れる想いとシンクロして胸に迫る。一つの作品としては、それで成功だ。しかし引き出された自然体は、演技力とは微妙に別物。
洋画で分かりやすいのは、ちと古いが83年の大ヒット作『フラッシュダンス』。
若い人もタイトルと主題歌「What a feeling」を聴いたことはあるだろう。
ダンサーを目指しオーディションを受ける主人公を、実際にオーディションを突破してこの映画でデビューしたジェニファー・ビールスが演じ、人気を博した。
だがジェニファーはその後、女優として成功したとは言い難い。
(明日へ続く)
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