2010年3月25日
今や若手個性派俳優の代表格・松山ケンイチのデビューのきっかけは、ホリプロ、雑誌『Boon!』、PARCOで共催した「New Styleオーディション」のグランプリ。
実は3社の審査スタッフのほとんどが、彼への授賞に反対していた。
当時は青森の朴とつな少年だった松山は、ファッション誌などが求めるスタイリッシュなイメージとは違っていたのだろう。
推していたのは、ホリプロのマネージャーだった女性実行委員長ただ1人。
しかし「彼はいい」と周りの反対を押し切って決めた。出来上がってはいないが光るものを信じて。
結果的に大成した2人の逸話はスタッフの美談として語れるが、そうはいかないこともある。毎年開かれるスカウトキャラバンで1人の少女をグランプリに選んだものの、芽が出ないまま芸能界を去られることも少なくない。
ある元・実行委員長は「あの頃は自分も若くて力が及ばなかった。今ならもっと売ってあげられたのに…」と苦い思いを口にする。
華々しくグランプリが発表される裏で、1人の若者の人生を預かることになるマネージャーには、重くのしかかるものもあるのだ。
「キャンパスター」で実行委員長を務めた五間岩さんはその重みを感じていただけに、今までオーディション担当を避けてたという。それを今回引き受けたのは…。
(明日へ続く)

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